どうにも、過去のブログを見返すと、文章がシンプルに書けないようである。
いろいろと言い回しを多くしてしまう傾向があるようだ。
今日も長くなると思う・・・



前回の一件以来、いろいろ自分を内観してみた。
本日また打ち合わせがある日なので、どう対応してゆけばよいのか・・・???
話し合うか?それともケンカをするか?クールな態度をとるか?何事も無かったかのように振る舞うか?

 (この大不況の時期に得た大きなチャンスだけに大切にしなくては)
 (けれど、こちらのプライドだってある)
 (その安っぽいプライドが邪魔をしているんじゃないのかオレ?)
いろいろ・・・ありとあらゆることを考え、友人知人にも相談をした。

そして、いろいろと考えた末、日曜の朝に自分なりの結論を出す。

『オレはプロだ。プロとしての振る舞いを忘れているぞ』

『相手がどう思おうが、どうブツケテ来ようが、いいではないか』

『自分がどれだけベストを尽くしたのか?チャレンジしたのか?達成感を持っているのか?』

『相手の感情も何も含めて、当然起こりうる出来事に一喜一憂し過ぎているぞ』

『薄っぺらで矮小なプライドを捨てて結果を恐れず、どっちになろうがプロとして【真の誇り】を持ち、勇者として立身すること』

これをもって明日挑む(!)

ということだった。
気持ちの整理がついたところで、なんとなく気が晴れていた。
それまでは自分なりにリラックスすることで、自分の感情から逃げていたことに気付く。
本当の自分の気持ちと出逢えた。
それは・・・それだけは確信できる。

月曜の朝、打ち合わせに向かう車中、思いをめぐらすことも無く、自然体でいる自分に気付く。
そして自然な流れのなかで、ある重要なことに気が付いた・・・

現地へ到着後、ライター氏とロビーで軽く打合せをして、受付にて担当者に連絡をお願いする。
すぐに出てきた。
軽く目を合わせ挨拶するも、すぐに顔を伏せる。
(やはり!思ったとおりだ)
ライター氏が用意した資料を基に、ある内容が進行する。
非常にスムーズに。
会議中、私の質問のあることに、また同様の反応を示した。
(ムム、やはり)
だが私はプロとして淡々と丁寧な対応をした。
そして本日の会議は何事も無く、無事終了。

帰り際、ライター氏は「胃が痛い」と言い出した^^;
無理も無い、彼も今回のことでは頭を痛めていたからだ。
感性豊かな細やかな人だし、仕事に関してはプロ中のプロだ。
今回提出した資料も、何も情報も時間も無い中、よくぞここまでという天晴れなものを出力してきた。
私はドトールで一息入れ、感謝の言葉をライター氏に贈る。
ホッとしたところで、次回以降プロとして最高の仕事を、それ以上の仕事をしようと確認しあい、それぞれ次の打ち合わせに向かった。

実は、私もホッとしていた^^;
かっこいいことは言っても感情のある人間だからだ。
そして、それ自体が今回の大きな『ナニカ』に繋がっているのだが・・・

(やはり・・・)というのは先の担当者は、本当は感情の起伏が激しい人なのだと思う。
そしてコントロールが出来ないで、時々冷静さを欠いた爆発という形でしか表せない。
だから、ばつの悪い対応をしてしまうし、堂々としてはいなかった。
そして自分の知らないことに対しては知ろうとしないし、知りたくも無い。
そう私なりに彼を解釈した。

感情をコントロールできないで冷静さを欠く・・・

まったくもう・・・と思いつつも、朝の電車のなかで私はあることを発見した。

そう、その感情のコントロールができないでいる・・・それはそのまま自分のことだったのだ。

今回の起きたコトを冷静に受け止めずに対処できなかったのは『自分』である。
プロとしての『つもり』になっていただけで、プロとしては行動していなかった。
そこに『プロ』は不在だったのだ。
相手の感情に溺れ、ライター氏の感情という「錘」も拾い、そして紛れも無い、一番肥大した自分の感情に溺れていたからだ。

ここ数ヶ月・・・いや!数年、非常に濃い内容のアクシデントがいろいろあった。
今もズーッと尾を引いているのもある。どれも尾を引いているかもしれない。
そして今朝、これらのことが頭をよぎり、ふと気が付いたのは・・・

仕事と家庭、他人と自分の境界線が引けなくなり、それぞれの立場、起きたことの「さまざまな感情」に溺れていたということだ。

冷静なつもり・・・プロのつもり・・・わかっているつもり・・・愛しているつもり・・・
全部「そのつもり」で感情を隠し、そのいつのまにか肥大した感情のうねりに振り回され、溺れていた自分。

これを気付かせてくれたのは今回の一件だ。
乗り越えなければ、乗り越え解決するまで、何度も同じようなことが起きる。
人間はステージごとに課題があるという。
その各課題を乗り越えて『大きな宝』を自分に持ち還る。
「神話の法則」という無意識の作用が、連綿としてDNAに刷り込まれ同様の人生の冒険を繰り返すという説(参照:神話の力)がある。
ハリウッドの映画も商品やドラマがヒットする要因も、こうした神話の法則が作用しているというのだ。

だとしたら・・・



ある村で暮らしていたお人好しの主人公がいた。
その村の人々は狡猾な人が多かった。

ある日「もっとオラたちが肥えるには伝説の女神の宝が必要だけど、噂じゃあ、その傍に恐ろしい魔女がいるって話だぁ。そいつの魔術で発狂して廃人になったやつぁたくさんいるんだとさ。そんで、その後喰われちまうって話だぁ。オラたちは、そんなの嫌だからぁお人好しのあいつをおだてて行かせるべぇ」
「ぬぁに、あいつはヨイショして優しくすりゃぁ、何でもいうこと聞くだぁ」
と噂を聞きつけた隣村の人々まで、おこぼれをもらおうとお人好しの主人公を担ぎ出した。

優しく接する村人に嫌われたくなかったお人好しの主人公は冒険の旅に出る。
たくさんの苦難の山を越えて行くうちに自分が担がれたのだとようやく理解した。
それでも「間抜けでお人好し」はいじけながら、村人たちを恨みながら進んだ。

何年も惨めな道なき道を歩いた。
その間に失われたものはたくさんあった。

名誉 誇り 信頼 正義 友情 愛 ・・・・

「間抜けでお人好し」は、もうあきらめかけていた。何もかも捨てたくなっていた。
ある雨の日、何度出くわしたのか?もう解らないほど、いつもの険しい山道を歩いていると、彼は足を滑らせ崖下に落ちてしまった。
雨で増量した激流の川に流され、そのまま滝の下に落下。

命からがら、滝の底から這い出して、ようやく大きな岩につかまり休んでいると。

何かが凄い勢いで落ちてきた。

最初、大きな石が落ちてきたのだと思った。
だが、それは滝の底から浮かんできたのだ。

「間抜けでお人好し」は、ビックリして腰を抜かす。

それは村人たちに担がれ、嘘をつかれ存在することは無いと思っていた、あの女神だった。

ようやく女神に逢えたのだ。



・・・と思ったら、突然!それが恐ろしい伝説の魔女に変身してしまった。

彼が最も恐れ、嫌悪していた、伝説の魔女が現れたのだ!

さあ大変!ビックリ!ドッキリ!おったまげて、すったもんだ!
戦おうか?逃げようか?どうせオレなんか・・・と、さまざまなことが逡巡する。
脅え、いじけ、逃げようとし、恐怖心に溺れもがく主人公。
もう、どうしようもできないでいる。でも、なんとかするか・・・(!)

彼は逃げ出した。もう、この旅からも逃げ出したかった。

ようやくたどり着いた村で休んでいると、通りがかりのノンビリした鍛冶屋がやってきて、血相を変えた「間抜けでお人好し」から事情を聞く。
話を聞いた鍛冶屋は「自分も、この村も、あの魔女には酷い目にあっている。だから、あんたが行くならオイラも一緒にやっつけに行くぞ」と言い、主人公と供に立ち向かうことを誓ってくれる。
相棒となった鍛冶屋は、主人公のために全身全霊で魔女に立ち向かう剣を創ってくれた。
彼は村でも評判の腕のいい鍛冶屋だった。
未知の恐怖に脅えていた主人公の「間抜けでお人好し」は、ようやくできたその剣を手にした。

もう、そこに臆病者はいなかった。
迷っていた主人公は意を決し、勇者に生れ変ったのだ!

やがて二人はあの場所に向かい再び魔女と対峙した。
「間抜けでお人好し」は、もう独りではない。そして剣もある。
戦いは始まった。

だが、その剣を手にしても苦しい戦いは何日も続いた。
相棒の力添えもあり、激闘の末【勇者】は、ついに魔女を真っ二つに切り倒した。

その瞬間・・・

ピカッと雷鳴が轟き、その一瞬、全てが暗闇に包まれた。


すると・・・

スッーと闇が裂ける・・・空から魔女の倒れた場所に優しい光が差し込む・・・

恐怖に打ち勝った勇者は、自らの手で倒した魔女を見ようとした。


その光に照らされ・・・否!


自ら・・・神々しく輝いている・・・あれは・・・???


この世の言葉では言い表せないほど美しい【自分の姿によく似た女神】だった(!)



その女神は、偽りの自分を見せることで最大の恐怖心と戦わせたのだと言う。
魔女の持つ『魔法の杖』を持つものは世界の王【真の自分】になれる宝だったことに気が付かず、感情の波に溺れ、人を恨むことで自分を誤魔化していたことに気付かせたかったと。

女神は「自分という恐怖」に打ち勝つことで、大いなる宝である【真の自分と新しいステージ】を授けてくれたのだ。
それは【鏡の術】と言い、最大の「陰」を見せることで最大の【陽】を発現させる魔法だそうだ。
同時にそれは人を廃人にもしかねないほど危険な術で、多くの人が逃げ出してしまうと言う。


生れ変った勇者は、自身の本当の進むべき道を見つけ、新しい冒険の旅に出た。


(参考:クライオン ジャーニー・ホーム―マイケル・トマスと7人の天使の物語


神話の法則のDNAが私に刻まれているとするならば、今回は相手という鏡を通して、自分というものをまざまざと見せ付けられたと感じる。

そして今回のことで、長年縛り付けていた自分の思いという鎖に縛られ、拾わなくてもいいさまざまな感情の渦に拘泥していた自分を発見した。


私は大いなる宝を得た気分だ。

とても大切なことを気付かせる役割をした、あの方に感謝をしたい。

鍛冶屋の相棒に感謝したい。

村人たちの役割に感謝したい。

出逢う人すべてに人生を教えられ、気付かせてもらえていた。
なんと有り難いことか・・・


まさか自分がこうした神話の体験を味わうなんて思っても見なかった。
なにか数年間の闇が晴れたような気分だ。

難の有ることは【有り難い】こと。
云い得て妙であるが、これまた真なり。
本当に有り難く感じる一日であった。



さてさて、今日も長くなってしまった。
明日から、また新しい冒険の始まりだ。

楽しんで行こうではないか!






2009.07.06 Mon l 感動 l COM(0) TB(0) l top ▲

コメント

コメントの投稿












       

トラックバック

トラックバックURL
→http://kouyu1222.blog105.fc2.com/tb.php/148-8cb942f2
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)